餅ドリーミン

夢日記です

夫が京大で飼っていた牛(霊長類)だった夢/家族の引っ越し/UberEatsで蓮實重彦に手紙を届ける夢

赤い床が緩くスロープになったところで、遠目に何かのライブを見ている。イベントで若いバンドが演奏しているらしく、グッズらしいタオルをもった若いファンが行き交っている。そこは京大の時計台の中らしく、鉄格子の窓から、植民地の光景が見える。

現在夫としている人は、実は、昔話題になった、京大で飼われている牛(だが大型霊長類のよう)だったと分かる。学問の象徴的な感じで二頭飼われているうちの一頭だった。その一頭は、ひと月ほど食事を全くしなかったことが、2016年頃に新聞などで話題になった。母に教えねば!と思う。動物好きの母も当時そのニュースを気にかけていた。母に教えると「すごいやん!」みたいな反応。座っている間に、窓から差す陽のせいで、牛の焼印(ビニール袋)の模様が足首に焼き付いてタトゥーのようになった。洗えば落ちるがかっこいいのでそのままにしておく。

 

われわれ一家は荷物を積んだリヤカーを押して砂がちの土地を横切る。フリマに出店するようでもあるが植民地から引き揚げるようでもある。硝子戸の前に板が渡されたところで、親戚と連絡を取る(店時代の実家の硝子戸に似ている)。食パンについてくる赤いシールを家族共通で持っている。そのシールは妹の障害の支援に関係がある。いい雰囲気の福祉施設があり、不登校の子の援助などもしている。自分はこれからそこと関わりをもつようだ。やってきた叔母(だが先生のようでもある)に何かのアニメの感想を一生懸命話している。

 

蓮實重彦の『●●文学論』というカラフルな表紙の本を読み、蓮實に手紙を書く。その本には、「この世界のことは知らないが」「知らない世界だが」「よく分からないが」などの書き出しで始まる一群の文学作品を論じた章があり、それらは「『自分はこの世界を知らない』文学」と呼ばれている。私もそれらの一群が気になっていたので、それについて書いている。挙げられている書き出しの中で、「よく分からないが」だけが接続詞だ、と思う(「よく分からないが」で一語の接続詞ということになっている)。私は、流行するロックの歌詞にも同様の傾向をもつものが多いと考え、それについて書く。手紙は全部で3枚で、3枚目に自分の好きな曲を洋楽と邦楽に分けて書くが、「これでは単に好きな曲のリストを作っただけで、なんの批評性もないな」と思い直してためらう。しかし、ただ好きなものを挙げるのもひとつの意義かもしれないと思う。

2枚目の、本を引用した箇所に「先生も論じておられた通り」と書き加えるが、こうしたフレーズは相手に媚びているようでよくないかもしれないと考える。

その手紙は、Uber Eatsで運んでもらうことになっている。自分がUberの配達員になっており、やたら細く汚いビルの階段下の奥まったスペースで、細長い黒いロッカーを開ける。逆光になった階段の上に、おじさんが腕組みで立っており、「こんなサービスがあるのかね」と感心しているが、蓮實重彦とは違う人のようだ。